グアムの歴史

グアムの歴史 概要

マレーシアやインドネシア、フィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことがグアムでの生活の始まりと言われています。紀元前3000年頃と言われています。その頃からグアムに住んでいる先住民族のことを、チャモロ人と呼んでいます。 1521年にポルトガル人の探検家であるマゼランが、スペイン国王の命令により世界一周の航海中、偶然グアム島に辿り着いたことで、グアムの歴史が動きます。そのあと、スペイン国王がグアム島の領有権を正式に宣言し、333年続くスペインの統治時代が始まります。
このあと、スペインによるキリスト教の布教がはじまります。カトリックの教えがチャモロの伝統的価値観や習慣に合わずチャモロ人の不満が高まります。そして、1668年スペイン・チャモロ戦争に突入します。スペインはカトリック教に反抗的な全ての村を焼き払い、多くのチャモロ人が殺されました。そして1695年チャモロ人が降伏した時、10万人いたといわれるチャモロ人が5,000人以下に減ってしまいました。 1898年スペイン軍によるアメリカ戦艦の沈没をきっかけに米西戦争がはじまりました。グアム島は、このときアメリカに占領されることになります。この戦争でアメリカが勝利したことにより、グアムはアメリカの領地となりました。 1941年、真珠湾攻撃後に侵攻してきた日本軍がグアムを占拠し、アメリカから日本統治に変わることになります。その後、数年の間、チャモロ人に日本語教育を強制しますが、あまり日本語を習得した人は少なかったと言われています。 1944年、アメリカ軍がグアム島に上陸し戦争に突入します。その戦いを制したアメリカが、グアムを統治することになり今に至ります。


横井庄一さんの28年間の洞窟生活

横井庄一

グアム島の歴史を語る上で欠かせないのが横井庄一さんの28年間にもおよぶ洞窟生活だ。戦争が終わったあと、最初の7年間は、タロホホ川の上流で、生き残った仲間とランチョと呼ばれる小屋の隠れ家を転々といていた。しかし、追い詰められた彼らは、地下に穴を掘って隠れるようになります。発見されるという恐怖感で、28年間一瞬たりとも熟睡したことがなく、想像を絶する、過酷な生活であったそうです。 横井庄一が最後に潜んでいた洞穴を「売り物」にしたテーマパークがある。韓国人が経営している「ヨコイケーブ」というところは、レプリカである。本物の洞穴は、近くの私有地にあるらしいが台風で壊れたようだ。このレプリカの穴は、かなりおそまつで見るに値しないものであるが、横井さんが過ごしたジャングルの雰囲気は感じ取れるし、観光用の小さな博物館が建てられているので行く価値はある。 特に苦労したのが食料で、ジャングルの中なので、パンの実などの木の実が中心の生活になるが、なかなか手に入らなかったようだ。ネズミや山猫なども食べたりしたようだが、火が使えないときには生で食べていたそうです。。



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